異性愛より同性愛の方が好きなのかもしれない
- すばひ
- 2019年11月13日
- 読了時間: 1分
先日、霞ヶ丘詩羽について1日中考えていたのですけど、 百合カップルになっちゃうのを考えちゃったわけですね。
でも、頭の中でカップリングを想像する時って これ皆さんもだと思うんですけど 9割9部は同性愛で想像しませんか?
私はします。
でも、今まではあまり理由を説明できなかったんですが、 この前の霞ヶ丘詩羽について考えた時、 一つの解を導き出すことができました。
多分なんですが、 単純に同性愛が好きなわけではないんですよね。
異性が好きなのにも関わらずその気持ちが成就することがなく、 その寂しさを同性にぶつけてる、とか
好きな同性者が異性にフラれたところに、 慰めの口実で同性愛を迫ったりとか、
異性への失恋ありきで同性愛になってる系の シチュがテンアゲですね。
いや、円満な同性愛も勿論想像することはあるんですけど、 寂しさからくる欲求って素敵じゃないですか。
私になにか表現力があればこのジャンルを 普及させたいのですが、来世に期待しましょう。
多分私の来世は異性愛は同性愛に目覚めるフラグにしか なっていないと思います。
以上
Adieu
Comments